21世紀の提言

第32回全国生協研運営委員会
2000年11月12日
「現場の仲間の目線」の向こうに「看(み)える」もの
「売れない」「組合員は来るのに供給がいかない」ともがく仲間たち。仲間たちの目線の先は予算達成のグラフだろうか、稼働時間管理の表だろうか。売り場と競合相手以外に何か見えているだろうか。仲間たちの目には買い物にくる組合員がどのように映っているだろうか。

地域は今どう変わっているか。地域に暮らす組合員の暮らしが「看え」ているだろうか。声は「聴け」ているだろうか。ぼんやり眺めているだけでは組合員のく らしは「看え」て来ない。そこには組合員の生活の困難さがある。しかも生活の困難さは平均的、平等にはやってこない。「リストラ」はある日突然やってく る。またそれは自然災害ではなく、政治による生活破壊という「人災」である場合が多い。くらしの事実と困難の原因にまで視野を広げ、視線をのばし、意志を もって「聴く」ことができたときに組合員のくらしに共感することができる。

生協の三つの危機
生協運動は長期不況による事業の後退という経営の危機だけでなく、組合員のくらしを守る運動からの後退による組織・運動の危機、さらにトップの不祥事に よる信頼の危機など思想的にも重大な危機を迎えている。トップダウンで競争に勝ち抜くことを第一に生協の民主主義を破壊し、生協組合員を軽視した組織運営 は事業的にも危機を招いてきた。

総額人件費削減攻撃
経営の危機に対して始めた「構造改革」は当面生き残るためだけの「経営対策」に終始している。経営責任を曖昧にしたまま労働者への負担転嫁のみが進んでいる。「総額人件費削減」の名で「成果主義賃金」の導入と「地域相場論」によるパートの賃下げ攻撃が始まった。

労使が協議し互いに責任をもって築きあげた労働条件を一方的に引き下げたり、当面の経費削減だけに目がくらんだ「外部委託」では長年培ってきた信頼関係やノウハウを瞬時に失いかねない。労働者を犠牲にした「経営対策」だけでは21世紀にむけて生協運動は再生できない。

再生へのプロセスは
ヨーロッパの生協で「経営危機からの脱出に成功したときが組織的危機の始まり」であったことを教訓とすれば、今日の日本の生協も当面の経営対策だけでな く組織的危機の現状をしっかり見据えた「生協運動としての再生」をめざした改革が必要である。さっぽろの経営危機について「72年の最初の経営破綻から立 ち直ったときにうわべだけの経営再建ではなく、生協の原点に立ち返った組織と経営の再生を進めていれば、以後同じような危機は起こさないで済んだのではな いかと思われる。」(生協総研、岡本)と指摘されたが今回の事態の進行もまた同じ事が指摘されている。問われているのは「再生へのプロセス」であり、その プロセスは、さっぽろをはじめ、全国の各生協がどのような組織をめざすのかに掛かっている。

生協運動の再生と生協労働運動の発展を
日本の民主主義の発展とともに大きく前進した生協運動は「21世紀に生き残れるか」が問われ、そこで働く労働者の運動は重大な選択を問われている。しか し今では地域には生協に期待する組合員・消費者が、職場には生協労連に結集する正規・パート7万人の仲間がいる。時代は大きく発展し、生協運動には新しい 段階の民主主義を求められている。生協組合員に依拠し地域に根ざした生協運動へ転換、再生することが求められている。
私たち全国生協研究会は生協で働くなかまが生協運動の現状を正確に総括し、21世紀の生協運動の再生と生協労働運動の発展をめざすため全国の生協労働者に「提言」する。

21世紀生協労働者への4つの提言
(1)「地域」に必要とされる生協に

(2)生協運動はくらしをまもり民主主義を育てる運動である

(3)構造改革は決定から実行に至るまでのプロセスが重要

(4)「労働組合はその時何をしていたか」が問われる時代

[1]「地域」に必要とされる生協に
(1)生協危機の本質は地域とくらしの破壊
日生協は90年代に入ると「規制緩和は時代の流れ」「国民にも痛みが必要」と大型店の「規制緩和」に賛成し、米をはじめとする農産物の輸入自由化賛成へ と方針を転換させてきた。事業活動を優先させ、くらしを守る共同の運動から距離をとってきた。しかしグローバル化と規制 緩和は巨大企業同士のつぶし合いを引き起こし、地域の産業とくらしを根こそぎ破壊している。大型店の出店競争激化の中で生協の店舗は一段と厳しくなってい る。大企業の工場ですら潰れるほど地域の産業が破壊され住民のくらしが破壊されている。この本質から目をそらして生協運動が生き残ることはありえない。

(2)地域社会は公正さを求め、住民の多様な形態での参加がひろがる
グ ローバル化、規制緩和の進行はまだ加速しているがその一方で「競争だけが唯一の道」とされた競争社会を見直す動きも広がっている。すでに環境と資源に配慮 し地域社会との調和がなければ企業も生き残れなくなってきた。90年代には個人を出発点とする住民運動が各地でまきおこっていることも特徴的である。しか しいくつかの生協では組織を官僚化させ自浄能力を失い、決算の粉飾やトップによる不祥事を隠し続けたところで危機を引き起こしてきた。効率だけを唯一の基準に組 合員を徹底して顧客化し、供給を増やすためなら「何でもあり」、公正取引委員会から「二重価格」で告発された生協では今「流通競争に勝ち、生協の優位性を 組合員に、社会にしめすことが再生への道・・・そのカギは事業改善をすすめる職員の意識と行動の変革です」としている。しかしそこにはどのようにして生協 組合員からの信頼を回復するか一言もない。生協が存続するから「組合員のくらしを支える」のではなく、地域に住み暮らす人々のくらしを守り、くらしを支え る生協であるから組合員は生協を信頼し支えている。「生協だから優位性がある」のではない。
生協は組合員組織の民主的運営を基本原則にしているが、さらに地域社会から見た公正さが求められている。もっと地域に密着した事業、住民を主人公にした 多様な運動を支援することが21世紀の生協運動に求められている。

(3)地域に必要とされる生協、生協労組に
共立社鶴岡生協は「灯油裁判、医療生協つくり、子育て文化の共同など共立社がこの地域に果たしてきた役割をみれば生協があることの意味は誰の目にも明ら かだ」という。阪神大震災を経験したこうべでは「『くらし』などと言う場合に、それは地域社会やコミュニティの場を抜きには考えられない」と地域の意義を 指摘した。福島生協労組は自らの生協 の経営危機とのたたかいのさなかにありながら、地域の商工会からの要請を受け「ジャスコ出店反対とまちづくりを考える会」の事務局を担っている。労働組合 が地域から厚い信頼を得て生協の再建をすすめている。釧路で生協が和議を成立させ再建の道に入ることができたのも、由利に新しい生協をつくることができた のも生協が地域に必要とされたからである。

危機になるほど労組の活動も内向きになる傾向が見られる。しかし「現場の目線で見る」とは供給ばかりに目をむけることではない。働く現場でこそ組合員のく らしの願いと生協運動への期待を実感できここで生協への信頼を築くことができるということである。地域社会に必要とされる店舗になっているか正規とパート の「現場の目線」で確かめてみよう。

[2]生協運動はくらしをまもり民主主義を育てる運動である
(1)くらしと組合員から遊離した生協運動
 日生協の「90年代構想」では「多数者組織への転換」が打ち出され、「生協は事業活動を通じて消費者のニーズを実現する組織である」という位置づけが強調 された。事業としての側面が優先され事業は常勤、運動は組合員という組織と事業の分離がすすみ、その結果事業活動そのものが組合員のくらしから遊離してし まった。店舗事業ではNB商品の品 揃えは当然必要なことであるが、共同購入から店舗を始めた生協では店舗事業での「競合」の重要性が十分理解されず、「消費者ニーズの多様化」との混乱が あった。店舗=「多様化」=生協らしさの喪失とされたり、共同購入でNB商品を企画することが「生協らしくない」と言われたこともあった。しかし実際には 店舗でも共同購入でも「ニーズの多様化」は組合員の要求であった。逆に店舗であれ共同購入であれ組合員組織から遊離し「顧客化」が進行したところで組合員 のくらしの変化、世代の変化に対応できず危機に陥った。

(2)多数者組織にも先進性・革新性を
現 代社会ではくらしの問題が重要になっている。生協は国民のくらしの状態をより深く調査し分析することが必要である。勤労世帯の所得が減少する一方で税金・ 社会保険費が国民生活を圧迫し、社会保障制度の改悪が将来への不安を増大させている。「多様な意見があるから」と国民生活の問題点、そこから発生する「要 求」の解決をめざす運動に取り組まなくなったことが「生協」への期待や生協のもつ「先進性」「革新性」を失わせてきた。事業面でも生協の商品活動 は常に消費社会の中で先進性と革新性を発揮してきた。スーパーも無添加・有機を売り出し「今や安全・安心は生協だけではない」と言われるが、新しく参加す る生協組合員は常に新鮮な要求をもっている。若いコープ委員が参加する生協では組合員活動が元気に行われている。バイヤーはメーカー情報だけにとらわれず 常に新しい生協組合員の声をつかむことが生協の先進性維持に必要である。

また「個」の時代と言われる今日、「個」が「弧立」してしまわぬよう「協同」の事業が意味を持ってきている。

(3)政治の問題から目をそらさずに
事業の問題でもくらしの問題でも、その根本には政治の問題がある。大店舗の出店ラッシュ、遺伝子組み替え食品の氾濫、国内農業の破壊など安心して暮らす ために政治の問題はとても重要となっている。消費税、食の安全、自然災害援助など組合員の願いが生協に寄せられてきた。中立主義に陥らず、生協運動の原則 を守って、生協運動の目的であるくらしと健康をまもるために地方と国の政治に対しても「草の根」から運動を起こしていくことが組合員から期待されている。

(4)情報を公開し民主主義を育てる運動体
大量の食中毒事件を起こしながら事故をひた隠した雪印、自動車の欠陥・テレビの発火事故を隠した三菱など企業のモラル問題は企業の存続すら危うくしてい る。生協でも事業が拡大する中で民主主義より効率を優先する考え方が広がってきた。経営破綻をした生協では共通して民主的運営の問題点が指摘された。総代 会に経営の実態を報告せず、問題点を指摘されると逆に非難や攻撃を行った。まだ危機に陥っていない「民主的」と言われる生協でも組織に民主主義が育ってい るかどうかふりかえって見ることが必要である。

時代はひとり一人が大切にされる「新しい段階の民主主義」へと発展している。生協には公開して組合員の判断を求め、より多くの組合員に参加を募る運営と組 織の体質が求められている。そのための情報の提供方法と、声を「聴き応える」ことを通じて民主主義を育てる「組織の姿勢」が必要である。

[3]構造改革は決定から実行に至るまでのプロセスが重要
(1) 構造改革で組織は強まるか
これまでの右肩上がりを前提とした進め方に変化が求められている。また逆に「これからは少子化だから生協も労組も縮小していく」という見方も増え続ける 生協組合員の願いを正しくみていない。どのような願いに応える生協をつくるのかが重要である。構造改革によって生協組織 は強まるのか。決定にいたるまでの関係者の参加と理解という「検討のプロセス」が民主的に行われることが最も重要である。構造改革はその改革の中味・方向 についての「検討プロセス」自体が実践であり新しい時代の民主主義に応えうる組織になる構造改革が必要となっている。

(2) 徹底的な総括を 失敗の総括を理論化、教訓化
そのためにはなぜ生協は危機に陥ったのか解明し、その理由について失敗の総括を理論化・教訓化して職員と組合員の合意形成を行うことが必要である。また構 造改革は経営構造や経費構造だけを言っているのではない。危機を引き起こしたトップだけの問題ではなく、組織の構造と体質に問題があるからこそ構造改革が 必要なのである。未だに前近代的な「親分支配」や「官僚体質」が残っている。民主主義を軽視するこういう組織の体質こそ「改革」しなければならない。権限に応じた経営責任の取り方も重要である。ボトムアップと言って自らは責任逃れをし判断を先延ばしする経営者、科学的経営管理を怠るもの、遵法精神に欠け平気で不当労働行為をはたらく幹部など「権限」に応じた責任のとりかたが必要である。

(3)店舗問題の総括を
店舗事業について全国の失敗の総括は特に重要である。日生協8中計の基調では「立地と規模」の選択の誤りと投資回収の問題が指摘されている。また共同購入 型生協からの出店ではトップの「力量と責任意識」を問題にしている。共同購入での成功体験が店舗との違いの理解を妨げ競合を軽視した。しかし同質競争で勝 たないまでも負けないレベルをつくることなしには生協らしさを生かすことはできなかった。特にSMでは生鮮分野での競争力不足は決定的であった。一方「90年代構想」の「地 域ドミナント戦略に基づく『大型店舗の積極的展開』」を無批判に受け入れたところが重大な危機を招いておりこの総括がぬけ落ちていることは問題である。バ ブル崩壊後にも大きな投資を続けたり、供給予算を水増しして計画した単協もある。立地の問題でも初歩的な間違いを指摘されてもそのまま出店したり用地を取 得したところもある。これらの単協においてはどのように意志が決定され、どのように執行されたのかにまでさかのぼって総括することが必要である。

(4)新しい時代の生協運動の戦略を
いま私たち生協労働者が話し合いたいテーマは「生協とはなにか、何のために生協運動をよびかけるのか、それはどのように進めるのか」ということである。 戦略とミッション(使命)についてのより多くの仲間の理解こそが21世紀の生協運動を切り開く原動力となる。戦略とミッションについての合意なしに様々な 経営管理手法を導入しようとしても役にたたない。
くらしを守る地域戦略を
「元 気な生協」と言われる単協では各県、地域における明確な戦略をもっている。この地域にどういう生協をつくるのか、組合員の協同を強める方向でくらしと事業 を結びつける戦略を時間をかけて全体の合意にし、職員のミッション(使命)を簡略にしめしている。ちば・宮崎の「聴く活動」は「参加の組織論」を現代的に 展開したものであり、共立社で鮮魚の地場仕入れを行い、いわてが鮮魚のカテゴリーキラーで組合員の結集をはかったとりくみは店舗を事業改革の中心にすえた 組織と事業の戦略といえる。

組織と事業の統一的運営を
生協には組合員組織と業務組織という二つの組織があり、ここが企業とは決定的にちがう。この二つの組織の統一的運営でこそ生協本来の力が発揮されるが、 生協が大きくなるほどこの矛盾が広がっていく。そのため組織の運営ノウハウが必要なのだが、組織運営の専門的知識に乏しく成り行きで組織運営をしている と、どちらかに意志決定の比重が偏り双方の組織から不満が発生する。機能分担が進む中で生協を流通事業としかみれない管理者が増え、「経験的レベル」での 組織運営では生協運動の全体像を理解させることはできなくなる。90年代に広がったリージョナル連帯=事業連合はもともとそういう「危険性」を内包していたので、単協以上に注意が必要である。しかし中には事業連合の陥りやすい弱点に自ら飛び込んでいく経営者もあり、そこでは生協組織の民主主義を否定し組織を官僚化させてきた。

事業を発展させるにも生協組織の理論は必要
多くの生協が幹部を派遣してきた「組織革新研究会」への参加者はこの10年で2000名にもおよぶ。ちばやいわての組織革新はこの成功例といえるが、全 国の生協の現状をみると多くの生協で「組織革新」が成功したとは聞いていない。ちばや宮崎の「聴く活動」も全国から研修に行ったが普及していない。なぜ実 践されないのか。それは戦略と結びつかない手法の導入は無理であるからだ。「どういう生協をめざすのか」という位置づけなしに研修に行っても学んだことを 実践できない。どんなに経営の良い単協でも 時代の変化に対応して組織を革新して行かなければ続かない。組織革新を成功させている単協ではトップ自身が確信をもって決断し、幹部が集団で研修にでか け、組織と運動を統一させた方針と実践できる幹部集団つくりを先行させている。担当者の研修や実践はその後に行わなければ成功しない。

[4]「労働組合はそのとき何をしていたか」が問われる時代
「会 社のいいなりになっているだけでは労働組合として役割を果たしていない」(三菱自工リコール隠しで全トヨタ労連会長)という声がでるほど企業のモラルハ ザードに労働組合が何もしていないことが社会的批判をあびている。生協でも「労働組合は何をやっていたのか」が問われている。

(1)経営からの自立を まともな労働組合を
雪印では衛生管理の問題以外にもサービス労働、関連労働者の作業管理など多くの問題が指摘された。労働者が問題点を指摘できるためには日頃から言いたい ことが言え、安心して働ける職場でなければならない。サービス残業に追われ自分の不満も要求も言えないような職場では食品の安全は保障できない。労働者は 働いているときにこそ労働組合が必要なのである。そのためには書記局にではなく、職場に労働組合の存在が重要である。労働組合は職場の要求と仕 事の実態をふまえ、経営とは「異質の論理」で自立した立場から生協に対して問題点を指摘する。しかし問題点を正しく指摘してもまともに応えない理事会もあ るので労働組合にはカウンターパワーとしての力が必要である。不当労働行為、民主主義を破壊するものは絶対許さない姿勢が執行部に求められる。

またパートでも関連労働者でも問題を指摘できることが必要である。そのためには労働者として対等な権利を保障することが必要である。労働者が対等な関係で仕事をできるように生協と生協関連で働くすべての労働者を組織しよう。

(2)企業内組合主義からの脱皮を
企業別に組織された日本の労働組合の弱点が「会社あっての労働組合」という企業内組合主義でありその典型が労使協調の路線である。生協労組はもともと生 協間の競争が少なく、「スーパーと生協は違う」ことが強調されたこともあって企業内主義に陥りやすい傾向がある。経営困難になると執行部が「自然解消」し たり、ますます企業内の論理に陥ることがしばしば見受けらる。この間の全国の生協の経営 危機とのたたかいは企業内組合主義では労働者のくらしも生協の経営も守れないことを示してきた。生協労連のネットワークを活用し独自に情報を収集し労働者 に公開することが重要になっている。積極的に生協の外に情報を発信することで労組員に対しても公正さを保つことができてきた。

労働組合の力は要求の一致点で団結することである。たたかわなければ誰も結集しない。要求の多くは生協の中だけでは解決できない。「国民的課題では労働者は結集できない」とくらしを悪くしているものとのたたかいを放棄していては団結も組織も強まらない。

(3) 経営数字にオタオタしないで
経営者は分厚い数字資料を出して経営の悪さを強調する。しかし「経営のことは難しくわからない」とオタオタする必要はない。「なぜ数字が悪いのか」「そ の原因はどこにあるのか」労働者にわかるように説明することが経営者の責任なのである。また経営を「数字で見る」ことは重要だが「数値が悪いこと」が全て の問題ではない。数値と言うのは事実をある面から見た結果であり恣意的に項目を選ぶこともできる。一つの資料で納得せず他の見方からの説明も必要である。労 働組合が経営の問題について意見を言ったからといって「経営に責任を持たなければならない」ようなことはない。責任は権限によってとるのものである。労働 組合が生協の運営や経営の問題に経営者とは異質の論理で発言してこそ経営の問題点も見えてくる。労働者の立場からの意見にも耳を貸すことで緊張感が生ま れ、不正を防ぎまともな経営ができるようになる。

(4)二つの使命の統一理解と見直し発展を
労働条件だけで理事会と交渉し、「生協の運営は理事会の経営権であり労組は意見を言わない」ようでは生協の危機を防ぐことはできなかった。無謀な投資や 非民主的な運営を許していては生協はつぶれてしまう。職場の仲間は危機のなかで一生懸命生協を支えているが、その努力と労働条件は矛盾することがある。仲 間は働いているところで矛盾を実感し、労働組合からの意見を期待している。職場の実態と生協全体を見渡して、労働組合の独自の立場から生協運動にものが言 える労働組合でなければ仲間の期待に応えることができない。生協研や経営分析、分野別の交流とこの間の生協危機とのたたかいは「二つの使命」の統一的理解 と実践が必要なことをはっきり示してきた。21世紀には「二つの使命」をさらに見直し発展させていくことが必要である。生協の危機が言われる今日、労働組合のリーダーシップが仲間から期待されている。生協運動の行く先を経営者だけに託すことに不安を感じており、労働組合が生協運動を語り強いリーダーシップを示すことが必要になっている。

<21世紀に目線をむけて>
生協労連のたたかいの歴史的意義を
80年代に日本の労働運動が組織率を低下させるのとは逆に市民運動としての生協運動が急速に発展した。結婚し企業を追われ、専業主婦となった女性たちは 生協運動に参加することで自ら主人公となって社会参加の道を開いてきた。企業・会社内の囲い込みから解放されて自由になり、大きなパワーを手にすることが できたのである。90年代に生協はいち早く 家庭内労働を商品化する一方で、この労働力をパートとして生協の内部に組み込んだ。生協労連は先駆けてパートの組織化を方針にかかげ組織を急速に拡大し た。企業別に組織された日本の労働組合が本工主義に固執する中で雇用形態の違う労働者を4万人も結集した。過半数がパートという産別組織は日本の労働運動 の中で先進的なだけでなく世界的にも例を見ない大きな意義を持つものである。

生協労連のこの到達点は労働力の流動化が進む21世紀に重要な意義をもっている。生協の中だけでなく地域の未組織・不安定労働者に労働組合を拡大していくことがそれぞれの生協労働組合と生協労連に期待されている。

21世紀には危機を乗り越え、あらたな生協運動と生協労働運動の展望を切り拓こう。

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